into the blue

将来の夢はキリン

記憶夏至

夏至だ。

夏至といえば……と毎年思い出すのは、岡田淳著・『こそあどの森の物語(2) まよなかの魔女の秘密』である。

この物語は夏至に起こる事件を描いている。子どもの頃に読むと少し怖かった記憶があるが、怖かったことも含めてこの話がとても好きなのだ。

私が夏至という言葉を初めて知ったのがこの本だと思う。夏至という概念がそもそも好きだ。毎年訪れるただの夏の一日ではあるが、この物語のように、なんだか不思議な魔力をもった一日であるように感じるからだ。この本から影響を受けているといって差し支えない。

とはいえ特別に夏至に何かをすることはない。これ以上昼の時間が伸びることはないのだなと安堵し、これから本格的な夏がやってくるのだなという気合い(?)を入れる日である。

今年の夏はどんな夏になるのか。怖いようなたのしみなような。

 

 

ここ数日はブログを書かなきゃという焦燥感とは無縁だった。

その間、自分の中でひとつ変化があった。

それはわざわざ他人に読めるようにしなくてもいい自分の内部の変化ではあるが、だからこそ忘れないように残しておくかという気持ちで書いていく。

 

このブログ初期の頃に度々登場していた独身先輩の話を久しぶりにする。

独身先輩と私の共通点として、他人にとても気を遣うというのがある。他人含めその場を成立させるためにどうするか頭を回しているタイプ。アプローチは違うが。そして他人への壁があるタイプ。気を遣って振る舞うので一見そう見えないが、その振る舞いとはまた別に自分の中に心の壁という物差しを持っているタイプ。全部私の主観的な観測だが。

まあ、そういうわけで互いに気を遣うので、互いに踏み込めない感じがしていた。職場の人間として上部の会話はしていたけれど。

そんな二人だったが、ある日ふとその壁が薄くなった気がしたのだ。職場の有志のバレーボールに参加した日のことだった。別に二人きりで何かしたわけではなく、バレーしかしていないのだが、突然壁が薄くなったのを感じた。しかも、片方だけではなくお互いにだ。お互いの壁が同時に薄くなった。そんなことあるんだなと思った。壁の薄さは連動するのかと。

 

何度も書くがこれは主観なので、相手がどう思っているかの根拠は何も無い。無いが、おそらくこれは確実だろうと私の中から声がしている。

 

 

……と、独身先輩と二人のこととして書いたが、その日を境に他の人たちからも、普段は名字にさん付けで呼ばれていたのにあだ名で呼ばれたり、話がめちゃくちゃ弾んだりということがあり、ああ、単に私の壁が薄くなったというだけの問題か、とも思う。ただただ私の問題だったのかと。

 

壁があるというのは別に悪いことではなく、何かあった時に自己保身が出来るし、他人と程よい距離感を保つこともできる。だからどんな相手にもそれぞれに合わせた壁のようなものは持っている。大小様々に。

だが今回薄くなっていく感覚を得て、それが不快ではないのだ。不思議な感覚だ。身軽になって嬉しいまである。

 

身軽さがテーマになっている最近の自分だけど、「自分の中の心の壁を無くす」という方法で身軽になるなんて考えていなかったよね。

 

もっともっと身軽になりたいと思う。余計なことを考えなくていいように。今自分が大事だと思うことにちゃんと集中できるように。

 

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謎加工の抹茶。おいしいね。夏だね。