into the blue

将来の夢はキリン

言葉は熟すのだ

毎日ブログを書くようになって、様々な気付きがある。たまに色々を一つの記事にまとめて書くのとは訳が違うのだ。

一つ目、一日が長く感じるようになった。

二つ目、出会った言葉や出来事をなるべくきちんと覚えようとするようになった。

三つ目、言葉の熟す時をより見極めるようになった。

 

三つ目の「言葉が熟す」というのは前々から無意識に気にしていたことではあったのだが、いまは毎日気にするので、より意識が強くなってきた。

毎日、これを書こうか?これも書けるな?とテーマを考えているが、熟していない言葉や考えはなるべく書かないようにしている。ここでいう「熟す」は辞書でいうところのこういう意味。

ある物事をするのに、ちょうどよい時期になる。また、ととのって十分な状態になる。

※デジタル大辞林より引用

 

熟していない言葉を使うと、知らぬうちに他人を傷つけてしまう可能性や、勘違いを生んでしまう可能性が高くなる気がしている。あくまで自分調べ。根拠はあまりない。書いたことを後悔する可能性が高いというのも大きな理由。簡単にいうと、“ヤケ書きはやめよう”という、それだけ。まあ、熟していたと思っても傷つけたり勘違いされたりすることはあるので、それはそれとして気をつけたいと思う。

 

辞書で調べていると、「熟す」と書いて「こなす」と読むことを初めて知った。「こなれる」とかいう意味の「こなす」である。

・技術などを習って、それを思うままに使う。また、身につけた技術でうまく扱う。自在に扱う。

・動詞の連用形に付いて、自分の思いのままにする意を表す。うまく…する。完全に…する。

※デジタル大辞林より引用

 

『熟した言葉を使い熟(こな)す』ということだろうか。

お後が宜しいようで……。