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将来の夢はキリン

そもそも一生一緒にいたい人なんていなくない?

更新、普通に1日遅刻したけど、内容が濃いので許してほしい。というか最近、濃い記事しか書いていないね。次回くらいはゆるゆるした内容でもいいかもしれない。今回は濃いめですがお付き合いください。

 

タイトルの通りなんだけど、「そもそも一生一緒にいたい人なんていなくない?」という最近の私の感覚を分析してみたいと思う。

まず、そう思ったきっかけは、でんがんのプロポーズ動画を見たこと。

たまクエの動画はよく見てるけど、この動画は未視聴だった。関連動画に出てきたのでなんとなく見てみた。

 

※参考動画

youtu.be

 

プロポーズする側のでんがんが指輪を購入する際に、「一生一緒にいたいと考えていますよっていう証明になるレベルのものではあると思う」と言っていた。それを聞いて、結婚したら一生一緒にいるんか~~~~……ほんまに?とふと思ったのだった(もちろんでんがん夫婦のことではなく、自分ごととして考えた時の感想)。

 

 

私も結婚経験があるけれど、その時にも一生一緒にいたいとは思ってなかったのよね。

だったらなぜ結婚したんだという話だが、これまでの人生の答え合わせとして妙に納得したからだった。ここにたどり着くために今までの人生があったんだと、伏線回収したような気持ちだった。過去があっての結婚だったな。だから未来がどうなるかはあまり考えていなかった。結婚してそのまま生きていけば自然に未来は作られていくだろう、くらいの感覚。状況に反して楽観的すぎるだろ、と今の私ならちゃんとツッコめる。当時の私は愚かだった。

 

愚かな私に反して、相手は一生一緒にいる覚悟があったようだった。「あなたがおばあちゃんになっても隣にいてくれると思って結婚した」と言われた時には衝撃を受けた。

結局別れたけれど、相手がどうのとかは一切関係なく、「私の中には誰かと“一生一緒にいる“という感覚が無かった」というのが、私の中にある素直な答えだ。

 

 

では、なぜ“一生一緒にいる感覚”が無いのだろうか。その思考の裏を探ってみる。

 

長くなりそうなので、まず要点を書く。

  1. 転校数多の人間関係リセット人生
  2. 両親の離婚
  3. 一つの家に長く住んだことがない

この3つが大きな要因としてありそう。

 

 

まず1つ目。

とにかく転校を多く経験した。これまでは説明するときに回数で伝えていたが、2~3年に一度は転校していたという頻度を伝えたほうがよりリアルに伝わるかもしれない。

友人を作っては離れ、作っては離れの環境が当たり前にあった。親が転勤族ゆえの転校なので、子どもにはどうしようもないし、どうにかできるとも思っていなかった。反抗して「ずっとこの学校がいい」と言ったこともない。そういうもんだろうと思い込む身体に仕上がった。転勤について父が私に説明してくれたことは覚えている限り一度もないし、母やきょうだいが愚痴ることもなく。我が家ではそれが当たり前のこととして行われていた。

母も父が転勤族であることは承知済みで結婚したのだろうし、単身赴任をさせずに一家で移動するのは選択としてアリだけれども、どうしたって子どもには選択権が無い。いま思えば、選択権が無いまま勝手に人生が作りあげられたことに納得していないんだな。何もわかっていなさそうな子どもにも、きちんと説明することは大事。反面教師。

 

とはいえ、幼少期の環境において選択権がないのは当たり前とも言える。私のように転校はなくとも、「そもそもこの環境で生まれたくなかった」「都会育ちが良かった/田舎育ちが良かった」などはあるし、そんなこと言い出したらキリがない。

子どもの頃は仕方がない。が、大人になっても幼少期の経験が尾を引くのだと思うと何とも言えない気持ちになる。早めに気付いて、自分で自分の人生を始める他ない。

 

 

そして2つ目。

これは分かりやすく私の人生に影響を与えている。離婚した両親の子供は離婚しやすいとはよく言ったもので、本当にそうかもしれない。離婚したという事実を目の前で見ているので、自分にもその選択肢が生まれる。

結婚したらずっと添い遂げるのが当たり前、という事実を見ている人と価値観が違うのは当たり前だ。

 

 

最後に3つ目。

1つ目と似ているんだけど、意外とこの影響も大きいなと感じた。私は親が転勤族なこともあって、ずっと借家暮らしである。ひとり暮らしの際も当たり前に借家だったし、人生このかた購入した家に住んだことがない。

ひとつの場所に定住しないということは、周りの環境も安定しないということだ。良く言えば様々な環境を知ることができ適応能力が高まるとも言えるので、悪いことだけではないけれど。今まであまり重要視していなかったが、人生全体の安定感につながるのかと気付いて案外侮れないポイントだと感じるようになった。

 

最近は職場が変わったが住む家は変わらなかったので、スムーズに職場に慣れることができた。引越しをしていたらまだ安定していないだろうと思った時に、家の重要性に気付いた。とはいえ、今からどこかに家を買うのは怖すぎるのですが……。

 

 

以上の3つのポイントから「私が一生一緒の場所にいることはないので、誰かと一生一緒にいることはない」という価値観が自分の中に仕上がっている。

でも、親の転勤は終わってもう関係なくなり、どこかへ強制的に引越しをしなければいけない環境ではなくなった。なので、自分で自分の住む場所を決めて、そこで一生ずっと暮らしてもいいんだと今更ながら気付くことができた。

 

 

さて、ここで「そもそも一生一緒にいたい人なんていなくない?」という問題である。

現状は実の家族を含めても、一生ずっと一緒にいたいぜ!と思える人はいない。大切な友人はいるけれど続々と結婚していくばかりだし、こちらの都合で一緒にいようとは言いづらい。

 

でもねえ、ふと思ったんですわ。「一緒にM-1を見る人がいたらいいな」と……。

最近令和ロマンにはじまり、様々な芸人が好きでお笑い番組や動画を見るようになり、M-1も今年は2回戦からちょこちょこ見ている。TV生放送の決勝は12月22日で、おそらく自宅で家族と見るのだが、どうも家族はお笑いへの理解度が低い。

私が面白がっている最中に、隣で「今のどういうこと?」とか言われるとしんどい。簡単に説明はするが、面白いなと思うものを逐一説明しながら見たくないじゃんね。それはそう。なので、同じくらいの解像度でM-1を見れる人がいたらいいな……その人と一緒に住んでたら同じ家で見れるからいいよな……そんでそのまま眠りにつく最高の一日……みたいなことを考えた。

 

一生一緒にいたいかは分からないけれど、毎年M-1を一緒に見たい。そういう感情から、そういう相手を探していこうかなという気持ちになった。

結局死ぬときはひとりなわけで、一生一緒になんていられないのよ。でも、毎年M-1を一緒に見て笑い合えたらそれはそれでいい人生なんじゃないの。

 

結婚とかよくわっかんね~けど(CV:伊沢拓司)、いまのところ この気持ちに落ち着いた。また何か考えが変われば書こうと思うよ。長い文章にお付き合いいただき感謝。

おやすみなさい~。

 

※書いた後に気付いたけれど、今日はいい夫婦の日でしたね……。偶然。