大豆田とわ子6話を見た。すごかった。
これを語れる語彙はない。
大豆田が少し苦手らしい姉にどうだったと聞かれたけど(聞くな)、「口で言ってもわからん」と一刀両断してしまった。それくらいの話。
最近水曜日休みが多いので、大豆田は水曜日の朝にゆっくり支度したりご飯を食べながら見ることにしている。
朝に見ればそのことを一日中考えることができるのが好き。繰り返し見ようと思ったらすぐに見れるし。
今日ほど朝に見て良かったと思うことはない。
見終わった頃には空が晴れてきて、それにすごく救われた。
梅雨の晴れ間の水曜日。
そんな、一日の始まり。
●腰の死こと"こ死"
働きはじめて二日目で腰痛を発症した。
しかもまだ治っていない。
少しブランクを挟んだその間にかなり身体が弱ったのかもしれないし、ただ急に身体が頑張ったからびっくりしただけかもしれない。
もしくは元々腰が弱いけどギリギリ保っていて、それが閾値を超えてついに痛みだしたのか。
しいたけ占いで、今週は「やりたいことを書き出してみるといい」と書いてあり、ふとその気になってやってみた。
普段自分の思考を自分だけが見るために手書きの文字に残すのは苦手である。だかしかし今日は、という気分だったから。
いくつかあったけど一番大きいの【健康に過ごす】だなと思った。
生きてりゃなんとかなるし、生きることで日々が続くのだし。
自分が生きるべき年数まではちゃんと身体が持つように過ごしたいなと思った。
私バドミントンが好きなんだけど、近所にバドミントンだけしてくれるバドミントン友達を作れないだろうか。
●書くことで終わることもある
最近読んだブログで、「あ、そうだな」と思ったものがあったので、勝手に紹介させていただく。
何かを終わらせるために書いている
自分で意識しながら書いたことはないが、結果としてはそうなのかもしれない。
大豆田でも「どこが好きだったか教える時はその恋を片付けるって決めた時だよ」と早良が言っていた。
言語化する時が、何かが終わる時なのかもしれない。
確かに、感情がうわ~~~~~~ってなっているときはそれをうまく言葉には出来ない。漫画やドラマのようにナレーションを入れながら感傷に浸るときは、もうどこかで何か区切りが付いているような気がする。
言葉にすることで何かが終わるかもしれないけど、その時に新しく何かを始めることもできるはず。
でも言葉にしたくないことがあれば、それは言葉になんてしないほうがいいのかもしれない。無理に言葉にすると予期せぬまま終わってしまうから。
言葉はただのモノだと思う。だからこそちゃんと使っていきたいと思う。
●これまでで分かったことは
これまで生きてきて分かったたったひとつのことは【何があっても人生は続く】ということだ。
まあ言ってみれば当たり前のことだけれど、私は社会人一年目でようやく気がついた。
学生の頃は一年経てばクラスが変わり、数ヶ月経てば学期が変わり、数週間経てば席が替わった。
何かしらリセットされるタイミングがあってそれが当たり前だと思っていた。
転校も多く、人間関係のリセットを度々してきたことも大きいかもしれない。
人間関係はリセットされるものではなく、積み重なるものだった。人生そのものもそうだ、と悟った。
だから人が産まれても死んでも、結婚しても離婚しても、骨折しても、友達と気まずくなっても、仕事で失敗しても、明日は来る。
それは、良くも悪くもなく、ひとつの事実として。
そのことは分かっておかなければいけない。と、ふとしたときに思い返す。
●伊沢さん、27歳
伊沢拓司さんお誕生日おめでとうございました。
ご本人がしっかりリプライを読んでいるということを知り、いてもたってもいられずに送ったのはいいが、かなり出すぎた真似をした。
・どうせなら直筆の文字を見てほしいな→手書きメッセージの写真添付
・どうせならブログもはっつけちゃえ→伊沢さんプレゼン記事のURL貼り付け
追加で「大好きです」と書こうとしたけどそれはさすがに役満だなと思ってやめた。ぶつけられる好意ってたまに怖いし。まぁ二つでも充分すぎるくらいなんだけど。
ブログ読んでもらえたかは分からないが、普通に怖いことをしてしまった。なんの意味があるんだ。
まぁ、伊沢さんは自分のこと書いてもらうの嬉しい側の人間であると公言されていたので(私の勝手な解釈込みだが)、良しとする。なぜなら良しとするしかないので。
基本的には伊沢さんのことは陰ながら応援したいと思っている。
でもご本人と直接話したらとても楽しいと思うのでいつか少しでも話してみたいなという野望はあるんだな。と、いうことでまた来週。(©️大豆田とわ子)