into the blue

将来の夢はキリン

カボチャの馬車を正面に回して

「Fantasyが始まる」の歌詞で、【カボチャの馬車を正面に回して】と【ガラスの靴はこの手の中にある】が良すぎるというハロプロオタの話。

めちゃくちゃ分かるので自然とヘドバンした。

 

運命を待つだけなのはやめにしようという意思が濃く出てて好き。

自分が動かな始まらねえべさという強めの意思を感じてかなり共感する。

 

 

これは前々から書きたかったけど、何かタイミングなくて書いてなかったなということで特に意味もないタイミングで書いてみた件。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の色々。

 

 

●爪塗る

久方ぶりに爪を塗った。

塗るだけで勇気出てきてやばい。

 

数年前のPICOの「魔法の言葉」という色。

ネイル自体は薄いピンクなのでほぼ地爪の色のままで、ラメがシェル色っぽく反射する感じ。派手過ぎないけどふと見るとツヤツヤキラキラしてて愛が溢れてくる。

 

爪塗るのはなんだかんだで高校生のときからずっと好きだよな。

 

 

 

んで記事を下書きに置いている間に塗り直して、今は白いホログラムみたいなやつに変えた(エチュードハウスのやつ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●映画「少女」

観た。公開当時映画館で観てから今回2回目。公開はもう5年も前か……。

 

どうしても原作が好きだと比較しながら見てしまうので映画の評価がしづらいんだけど、今回は時間置いた分、単なる映画として観れたのが良かった。

 

 

この映画はマッケンがいいんすよ。甘い台詞じゃなくて頭おかしい台詞を言うことで輝くタイプのイケメン、最高なんや。

 

 

 

 

 

 

少女(思春期の女子)って、世界の狭さに絶望するんだなーと思った。

狭い世界でうまくいかなくて、その狭い世界から出る術もなくて、もしかしたら出られることすらも知らないままで。

その状態で絶望しきってしまうのはやっぱり時期尚早なんじゃないかなって、思春期を終えた今はそう思う。

 

 

少なくとも高校卒業するまでだから、その狭さは。

なんとか3年終わってしまえば広くなるから。まあ、広いことが良いことばかりかというとそうでもないんだけど。

 

 

学校というコミュニティの狭さも、田舎というコミュニティの狭さも、いつかそのコミュニティが無くなったり、自分が変われば狭さを気にしなくなったり。

 

 

 

私は引っ越しを何度もしたけれど中高生を過ごした街に未だに狭さを感じてしまうのは、その頃のことがまだ脳裏に焼き付いたままだから。 

街が便利かどうかとかそんなんじゃなく単に思春期を過ごしたからだなと思う。

少しずつそれが気にならなくなるといいな。と、何年も経った私も未だに思うんよ。そんなもんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●家具の組み立て

半年以上前に買っていたチェストを今さらになってちゃんと組み立てた。

良かった。

あとちょっと仕上げたら完成する。もう暗くなったのでまた明日に。

 

あと家族共通で使う棚も組み立てた。ていうかこっちがメインで、そのついでにチェストもやったという感じ。

 

 

 

 

 

ある作業中、家族に「あんた、面倒くさそうにやるね」と言われ笑った。

確かに面倒なことはちゃんと面倒だなーと思いながらやるな、私は。面倒だと思いながらも手を動かすから偉いとも言うが。いや、普通に偉いじゃんね。

 

 

面倒くさそうでいつも思い出すのは、二宮くんが冠番組でぶりの照り焼きを作るシーン。面倒くささの究極形だなと思う。

でもちゃんとやるから偉いなこの人はと思うけど、隠さなすぎて何度見ても笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●ドラマ

春ドラマはネメシス、珈琲いかがでしょうの二本立て。今のところ。

 

コントが始まる、リコカツあたりも気になるかなーという感じ。

ドラマをリアルタイムで毎週まともに見ることなんてそもそもほとんどないのに、いま色々見てる状態が結構ウケる。

 

 

 

 

 

他にも何かあったかもしれないけれど今日はこんな感じで。

おやすみなさい🐹

 

 

次の角を曲がれ

いい曲すぎる。卓偉……!

 

軽率に「℃-uteは伝説」と言っておく。

軽率に言いたくなる凄みというか説得力というか。あるんだよ。

 

 

舞美ちゃんの「どうにもできないことだってあるだろ」が良すぎて大好き。

 

 

 

 

 

ちょうど次の角を曲がったところなのでまだ見たことのない星空を探しに行きます。

 

 

本当に言いたいことはまとまらないので寝ます。

主義

髪を切りました。

数年ぶりにショートカットにしました。

 

 

 

今回は勢い任せの断髪とかではなく、ショートカットにする機が熟したと感じたので。いま、時が来たのだ。

 

 

 

少し前からショートカットにしたいなという気持ちがあったけど今じゃないなとかわしてきて、こうして熟した状態で切りました。

 

 

 

 

 

 

 

というのも、以前髪色を注意された時に半ばやけになって切ったことがあったけど、例えるならば、イルカが尾びれを失ったようにひどく悲しかった。

 

やけになって髪を切るのは良くないということがその時ハッキリと分かりまして、勢い任せに切ることはしないようにしています。

 

切っても伸びてくるパーツだからまだいいんだけど、それでも自分の身体の一部を傷つけるような行為は、やっぱしちゃだめですね。

自分が一番ダメージ受けますからね。ほんとに。

 

 

 

 

 

 

 

だから、似合うだろうというポジティブな感情だとしても、切ることを人に薦めることもあまりしないようにしています。

背中押してほしそうな人にはまあまあ言うけど。客観的意見としてはまあ結構言うけど。(言うんかい)

でもやっぱりその人の髪はその人のものですから。そこを侵すことはいかんですな。

 

 

 

 

 

 

話ぶっとびますが絶叫マシンに乗るのも強要しない派です。

なぜなら私が半ば強制的に絶叫マシン苦手マンから好きマンにさせられたからです。(結果好きなんかいという)

 

乗るしかなくて乗ってみて楽しかったから良かったけど、人が違えば大事ですからね。

ま、結果克服して基本的には好きになったので有り難くはあった。結果論としては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと、ラスベガスにあるタワーの頂上の絶叫マシン乗りたい。

 

※ヨコサワチャンネルに感化されてきた、やばくない?

良い花は後から

東大王、観ました。

入れ替え戦だそうで……。

 

 

相当ヒリヒリしてましたね~~~。

 

東大王の歴史に詳しくはないので今回の試みについて特に賛成や反対はありませんが、結果が全ての世界で結果を出すのも人生、出せないのも人生だなと。

偉そうな偏見だとは思うけども、鶴崎さんは結果で見せる人、砂川さんは過程で見せる人だと感じています。

砂川さんは過程を見せることで我々に訴えてくれる人なんじゃないかと思うので、ここからの這い上がりが砂川さんらしさだと思うんですよ。

 

と言えど、本人は悔しいと思うし自分だとしても本当に悔しくてやるせない気持ちになってると思うので周りはメンタルケアをしっかりしてあげてほしいですな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、コンフィデンスマンJPも観ています。

 

先に映画二本を観てからのドラマを観終わったところです。残すは運勢編のみ。楽しみすぎる!

ドラマ最終話は映画での技法と一緒で、来た来たこれこれ感がすごかった。

 

序盤から丁寧に並べた駒を最後にパーン!とひっくり返すこの荒業。好きです。

 

 

 

 

 

 

 

今度から憧れの人はと聞かれたらダー子と答えようかな……。

 

 

JINSEI

久しぶりにApinkの曲を聴いている。

情報を追うのをやめて長いので知らない曲ばかりだけど、知った声で歌われる曲たちはどこか懐かしくて心が落ち着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までのこと、結局は「自分が選んできた道だから」と思った時、すごく心が軽くなった。

 

良くも悪くも誰かのことを思っていたのではいつまで経っても心の引っ掛かりが取れないままで。

 

 

 

 

 

自分ではどうにも出来なかったことも含め、この人生は自分の選択でここまで来た、のだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が右へ行くか左へ行くかという単純に見える選択も、右へ行きたいのに今の自分の能力ではどうしたって左にしか行けないこともある。

それも含めて自分の選択。

 

 

 

最善の道へ進めるように、行くべき道にまっすぐ進めるようにすることを、努力と呼ぶのかもしれんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

前のブログは消したけど、画像ファイルだけははてなブログ内に残っていて。

あ~~~いい人生だったな~~~と思う。本当に。

 

もう一回生き直すくらいの感じで進み始める。いざ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.

今期のドラマはネメシスを結構楽しみにしてる。

あんまり選り好みせずに、色々観てみようかな~、と思う春です。

 

 

 

 

 

最近思うこと

自分で好き勝手に物が言えることの幸福を、改めて噛みしめています。

なんか、またこうして新たな場所で言いたいことを言える環境を作れて良かったなと。しみじみ思います。

 

 

 

 

 

 

さて、最近は割と日々の時間がゆっくり取れているので、何かと外からインプットできる機会が増えました。

そんな中で思うこと色々、です。

 

 

 

 

  • 先人が残したものに耳を傾けてみる

 

今まで、こういうことをほとんどしてきませんでした。

なぜなら、自分の人生は自分だけのもので、誰にも自分のことは分かるわけがない、と信じきっていたからです。

 

 

まあ、未だにその思想はあるのですが、最近は少し柔らかく考えられるようになり、それって私だけではなく人間誰しもそうじゃんということを思ったんですね。

 

 

それと同時に、人間の根幹には昔から変わらない部分、誰しもが抱える矛盾とかコンプレックスとか葛藤とかそういうものもあるんじゃないか、と、ふと思ったわけです。

 

 

そうすると、今までの世界には生まれて生きて死んでいった方々がごまんといるわけで、その人達が残してくれたものに耳を傾けてみたら何か気付くことがあるのではないかと思えるようになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、映画「ちはやふる」をきっかけに、百人一首に興味を持つようになりました。

 

先人って言ってもそんなに先人かい!と言われそうですが、本当に古く、約1000年前の歌ばかりです。

それでも今と同じような人間の気持ちを歌っているので、人間が元々持つものってあまり変わりないんじゃないかと思うんです。

だからこそ先人の教えをきちんと受け取って、自分たちは更に上へと登っていけたらいいなと思います。可能性を引き伸ばしていけたらいいなと、漠然と思います。

 

 

 

 

 

 

 

そして歴史にも少し興味を持ちまして、改めて明治維新だとか、もっと昔の古事記だとかを学んでみているわけなんですが、今知ると面白いんだよこれが。

 

学生の頃は何年に何が起こったとしか覚えていなかったけれど、この出来事の真意はこうだったとか、表向きの策と裏での策があっただとか、よく知ると「こいつまじ策士だな!」「やりおったな!」とか思えて楽しい。

 

 

もちろん諸説あることも多いとは思いますが、それも含め先人たちの歴史なので、そこから何か分かることは意外とあるのかも。と、今は思えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 組み立て力が重要すぎて今すぐ欲しい

 

これは前々から上司に言われていたことですが、物事を組み立てて考えることが私はあまり得意ではありません。

組み立て力が大事なのは分かるけど、脳の構造から考えて、あんまり向いてないし無理なんじゃないかと自分では思っていました。

 

 

 

最近、この動画を見ました。

 

 

 

youtu.be

 

 

最近家族が中田さんの動画をよく見ているらしく私も勧められて見ており、これもその一つ。

 

 

 

 

 

この動画、簡単に言うと中田敦彦の組み立て力がまじで分かりやすく披露される動画です。

なんだなんだ??組み立て力の権化かこの中田敦彦という男は???????

 

 

 

何気ない会話から始まり、最終的には中田さんの思うがままの展開。さらに乗せられた相方藤森さんも分かっていながらも超乗り気で終わるという、凄まじい内容になっています。

 

 

これを見たらもう、組み立て力、大事すぎか~~~~~~~!!?!!?!!という感想しかないし、これは何としても身に付けなければと思い直しました。

 

 

 

組み立て力というか、もっと平たく言えば交渉力というんですかね。

人に交渉するときのうまさ。

 

 

何よりも思ったことは、自分の利益を得ようとするならば、まず相手のことを考えなければならない。ということでした。

相手にまず利益があるかどうか。相手のためになるかどうか。そこが叶えば、自分の利益へと繋げることができる。

 

 

 

最終的には自分の利益とか相手の利益とかも度外視して、物事が良い方向に向かうことだけを考えられたらいいんですけどね。

まだその域には達することは難しいので、まず出来ることから。

 

 

 

 

 

手のひらで転がされるということや、外堀を埋めるということはこういうことを言うんですね~~~~!!!!!!

と、超良い見本になりました。凄すぎて笑えてくるんだよな。面白すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、今までにあまり興味を持たなかったところから気付きを得ているという近況でした。

 

 

 

 

満開の祝福

今年は満開の桜をよく目にする。

 

 

元々桜は好きだ。満開になった頃を見計らい、桜の木々を眺めに散歩に出掛けるのは毎年恒例のことだった。

 

 

 

が、今年はわざわざ足を運んだ訳でもないのにあちらこちらで満開の桜を度々見ている。

 

ここ数日昼間に車で外出することが多いので車窓から見かける頻度が高いというのも理由だが、満開の綺麗な桜を本当に何度も見た。ああもうお腹一杯だなというくらいには見た。嬉しいことだ。

 

 

 

 

家族や知人が「あなたへのご褒美だね」と言った。 

「今までよく頑張ったね、というあなたへのご褒美だよ」と。

 

 

 

そういえば式の日もちょうど桜が満開だった。

この地域には珍しく、風が穏やかな綺麗に晴れた日で、こんな日はなかなかありませんよと周りの人々は笑っていた。

その時も祝福を感じた。

 

 

 

 

私は満開の桜に恵まれているなぁと思った。

何か励まされているというか、導かれているというか、そういう節はあるのかもしれない。

 

 

 

 

今年も桜が満開で、こんなに、嬉しいことはないね。

そう思う。