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将来の夢はキリン

パンドラの箱は開けるべきか?

今期のドラマは『ラストマン』のみを観ている。次回が最終回という佳境なわけですが、ドラマを観ながらちょっと気になったことを書いてみる。「パンドラの箱は開けるべきか?」という問題である。

 

若干ネタバレを含むのでご注意いただきたいのだが、ドラマの中で主人公らは“パンドラの箱を開けようの会”を開催中である(そんなにポップな話ではない)。開けようとしたら色んな不都合なことが起きて、自分が傷付いたり他人を傷付けたりしている。

私の意見を言うと、「パンドラの箱は開けるべきではない」である。「疑問に思うことは、自らの足で調べて自らの目で確認すべきである」ことには大賛成なのだが、それがパンドラの箱だと気付いたタイミングで潔く辞めるべきなのではないか、と思う。

パンドラの箱って、多分自然には出来ない。作りたくないけれど出来てしまうというのがパンドラの箱だと思っている。ということは、作らざるを得なかった何かしらの理由があり、パンドラの箱を開けてしまったら、その理由によって何かしらの障害が起きることが確定している。その障害は決して軽いものではないはずだ。だってわざわざパンドラの箱を作らないといけなかったわけだから。

 

パンドラの箱”のゲシュタルト崩壊が起きてきたであろうタイミングで、そもそもの意味を確認しておく。

ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。

※「デジタル大辞林」より

は?最悪じゃん。希望だけが残って災いが飛び出した壺、絶望の権化じゃん。思ったより酷くて笑うしかない。

 

↑を調べる前の私の解釈としては、パンドラの箱には怪物が入っている、なので開けてしまうと自分が怪物に襲われて傷付いたり、逃げ出した怪物が他人を傷付けてしまったりするというものだった。割と近しい気がして、いい線いってんね〜と自画自賛した。

そんなわけで「パンドラの箱は、あえて作られた理由があるのだからむやみに開けるべきではない」というのが私の今のところの回答である。「こじ開けようとしても簡単に開かないものは、無理に開けるべきではない」と思う。なんか……、私大人になったな……(自分で自分の成長に浸るな)。明日には意見が変わるかもしれないが、考えることに意味があるので書き残しておく。