into the blue

将来の夢はキリン

夢を叶えることがどんなに切ないか

夢を見ることは誰にだってできる。けど、それを叶えることがどんなに大変で、どんなに切ないか。

※ドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』第4話より

最近TVerに上がっているこのドラマを観ている。私が今まさに勉強している内容がこれである。何かの参考になるかなーというのと、それを話した友人に、ドラマとして面白かったよと逆に勧められてしまったので。他人に「どういうことを勉強してるの?」と聞かれた時に「『校閲ガール』みたいなやつ」と答えるのが便利でよく使うので、使うならちゃんと観ておこうみたいな気持ちもあり。

 

ドラマはまだ5話までしか観ていないが、その中でも上記は好きなシーンの一つ。夢を叶えることが大変というのはよく言われるし実際そう思うが、「切ない」という表現に、ああ、それだと思った。人が夢に向かっている時に、ひどく切なくなる瞬間ってあるよなと。

「せつない」とは、悲しさや寂しさ、苦しさなどで胸が締めつけられるような気持ちを意味し、自分ではどうすることもできないというニュアンスが含まれる表現である。「やりきれない」「やるせない」気持ちを表す言葉でもある。

(中略)

「せつない」は、主に自分の希望や期待が叶わなかったときに用いられる言葉である。

※実用日本語表現辞典より

夢に対しての切なさって「すべてが思い通りにいくわけじゃない」、「自分ではどうしようもできないが突き進むしかない」みたいな感覚なのかな。

 

 

“夢を叶える”繋がりでいうと、昨日QuizKnockのメインチャンネルの登録者が200万人を突破した。おめでたい。

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嬉しい気持ちはある反面、切ないというかちょっと悔しいというか、そんな気持ちが渦巻いている。なんだか複雑。まだ自分の中で整理できていない。

なぜ切なく悔しいかというと、多分「ただの視聴者としてではなく、200万人を達成するための過程で自分が何かしら力添えをしたかったから」だと思う。見守っているだけで楽しいし嬉しいみたいな気持ちではとっくになくなってしまっていて、この組織を裏方で支えたいみたいな気持ちがある。

 

前書いたが、QuizKnockの中途採用に応募しようとしてやめたことがある。当時応募してもし採用されてもすぐ東京で働くことはできなかったので、やめたのは賢明な判断だったと今でも思う。でもやはり後悔はしている。後悔したところでどうしようもなかったのだが。もしや、これが切ないというやつか?

今は、いつか回り回ってでもQuizKnockの何かしらの支えになれるように、自分の能力や経験値を上げておこう!と思っているところ。直接的には関わらないとしても、それが一つのモチベーションにはなっていて。ただの夢じゃんと言われればそうだし、どれくらい現実的に叶えられるかは分からないけれど。今こういう気持ちだということに嘘はないので、気持ちの整理のためにも書いておく。

 

そういえば昔は「嵐のコンサートのバックでドラムを叩けたらどんなに楽しいだろうか」と夢見ていた。自分の実力的にも年齢的にも体力的にも、あまりにも現実味がないのは理解していたので、考えるのが楽しいだけの夢ではあったが。

QuizKnockの方はまだもう少し現実味がある。校正の仕事で実力を付けていくうちに、いつかQuizKnockの本の校正ができたら楽しいだろうな、とか。

 

少しだけ夢を見ながら現実をがんばっていきたい。