into the blue

将来の夢はキリン

夢にさえ戻れないで

大豆田7話、見た。

 

 

 

唄ちゃんが自立しようとするシーンを見ながら、

うちの母が「どこかの誰かさんみたいだね」と言い、私も「どこかの誰かさんみたいだね」と思った。

 

片親で過ごしたことがある人は結構こういう思考になりやすいのかなと思う。

生まれた頃から絶対的である親。でもその絶対でさえ揺らぐことがある。すると、自分は自分で生きていかなければと思う。そういうものなのかもしれない。

 

 

けれどとわ子は(8話予告で)「意外とわたし、一人で生きるの面倒くさいのかなって思います」と言っていたけれどもね……

 

 

 

 

 

 

私が一人暮らししていたころは好きなように好きな人と話してたまに会って、全部好きなように生きていて、楽しかった。

でもいま家族と住んでいて、それはそれで自由過ぎないところが良かったりするのかもしれない。

 

 

やりたくないことを一緒にやったり、なんとなく言いたいことを言いたいときに言ったり。

 

 

 

 

 

今すぐは難しいけどいずれまた一人暮らしがしたいし、また血の繋がらない他人とも暮らしてみようかな、とも思う。

 

 

 

 

 

 

また星座の話をしますが、蠍座は「もしもあの時こうしていたら…と思う自分を許してあげる」「自分を縛っていたのは自分だと気付き、飛び立つ」という時期に入っていくそうです。

 

なるほどね。

本当にそう思う。

 

 

もうすぐ3ヶ月経つ。いい加減、と、思う。

昨日またぶり返して、沈んで、でも沈まなきゃ吹っ切ることもできないのかもと思って。

 

 

 

考えたらきりはないから。自分で自分を許すことでしかないこと風のごとし(?)

 

 

 

 

 

 

 

にしてもさーーー。

唐突に大豆田の話に戻りますが。小鳥遊、なにもん???

 

あんだけパッキリとプライベートと仕事は別でしょとされてしまうとこころがくちゃくちゃになってしまう。なった。私も、なった。

 

 

でも私も元々仕事とプライベートはパッキリ分けたい人だった、はずだ。

だけどいざそういう人を見たらくちゃくちゃになった。なんだよ。

 

仕事上の性格と、家族や友人に見せる性格は違う。

分かっちゃいるし、自分もきっとそうだけど、敵か味方か分からなくなるとくちゃくちゃになる。

でも人生には敵も味方もいない。それも分かってきたはずだけど。

 

 

 

「仕事だから」と言えばすべて許されるのかというとそうでもない、というちっちゃな反抗心はこれからも持ち続けていきたいと思う。なんとなく。

 

 

 

 

私はというと、最近グレーな感じだ。

仕事だからといって気合いは入れない。プライベートだからといって気を抜かない。

切り替えない。確かに違うけど、基本地続きで、自分がずっと自然でいることを心がけている。

 

 

激務を経て、働く時も自然なことが良いと思うようになってきた。

これは、賛否両論あると思いますが。過去の私にも賛同はされないかもだが。いまの私はこんなだよ。

 

 

 

 

 

ここに至れたのは【評価されたいと思って生きる】ことをやめたからだなとふと気付く。

評価されるのはいいことだったけど、とても不自然だった。気にしながら生きたら、それこそくちゃくちゃになった。

 

くちゃくちゃにならないように、気にしないことを決めて、自分が自然に生きて、やるべきことはやる。そんなことを思いながら過ごす、2021年5月の頃よ。

大人になったかな。?。