into the blue

将来の夢はキリン

女としての人生

身体的に女なわけですが(どんな書き出し?)、今まで生きている中で自分が女であるという認識をあまり持っていなかったかもしれないと急に思った。かといって、男だと思っていたわけではない。特に深く考えていなかったというのが正確だと思う。

ひとり暮らしをしていた頃、夜に一人で公園を散歩をしていたことがあったが、年上の方に「危ないよ」と言われて、あまり意味が分からなかったことがあった。別の方に「女の子なんだから絆創膏くらい持っていたほうがいいよ」と言われ、女の子だからという括りで指摘を受けることに違和感を覚えた。急にケガをした時のために絆創膏を持っていたほうがいいのは分かるけど、そんなん誰だってそうじゃないか、と思ったりした。実際に私は産んだわけじゃないけれど、出産ってこんなにも女の身体に依存した出来事なんだと気づいて愕然としたり。

 

身体的に女であることは自然と理解していたが、こころの認識として「自分が女である」ということを今さら理解した。そして、女なんだから女として生きよう、とふと思った。それが具体的にどういうことを指すのかはまだ私の中でもはっきりしていない。いま考えられるのは、女性らしい柔らかさや可愛らしさを変に排除せずに大切にしようとか、出産に対しての嫌悪や不安を必要以上に持たなくてもいいんじゃないかとか、そういうことだ。

 

男女をあまり気にしていなかったので、バスケでダンクシュートを決める選手を観て「人生で一回はダンクシュートを決めてみたいよね~」と言ってみたりとか、若くて聡くて美しい奥さんを持つ夫に対して「うらやまし~」と思ったりとかもしていた。でもいま改めて考えると、男性的な行動に憧れを持つということは私があまりにも女性であるということだよなと。生まれた時からずっと女なのだ。女なんだから女としての人生をめいいっぱい楽しんでいけばよい。なんだかそう思った。

 

あまりまとまりはないが以上。性別のことを色々言っているが、この話はすべて私の話であり、ほかの方の性や性の捉え方に対しては何も言及するつもりはないので、何卒、ご容赦ください。